南を海に、その他周囲すべてを山に囲まれた天然の要塞、鎌倉。
かつてはその鎌倉へ通じる陸路はたった7つしかなかったといいます。この7つの陸路は「鎌倉七口」と言われ、重要な防衛機構でもありました。
鎌倉中心部の西にあり、長谷地区と笛田、常磐地区の間にあるのが「大仏切通し」。その道は藤沢、そして京都方面へと続いていたようです。大仏切り通しが資料上に登場するのは江戸時代初期のことだといいますが、この切り通し北側にある北条氏常盤亭の存在や、鎌倉七口の他の切り通しの整備時期などから1241年から1250年頃、と考えられています。
斜面を削って人工的に創られた切岸や、その切岸に創られた鎌倉地域特有の遺構「やぐら」。シダと苔に覆われた岩の壁が狭く細い山道の両側に迫り、その狭い山道の中央にはいくつもの大きな置石が鎮座していて迫力十分。
鎌倉時代にすでに「大仏切通し」が開削されていたならば…、きっと、おそらく、鎌倉幕府滅亡時に幕府軍と新田軍との激しい戦いがこの場所でも繰り広げられたはずです(倒幕の史実として、大仏切通しの両隣の切通し「極楽寺坂切通し」・「化粧坂切通し」では、激しい攻防の記録が残っています)。
鎌倉幕府を守り抜こうとした北条軍。新しい時代を切り拓こうと攻め込んだ新田軍。700年の時を遡り、両軍の武士に思いを馳せながらこの場所を歩くのはきっとたまらなく面白いでしょう。
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大仏切通し |
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鎌倉市長谷4丁目・笛田6丁目・常磐のほぼ境界線上。 |
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江ノ電長谷駅から徒歩15分程度。途中からハイキングコース(山道)です。 |
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自由です。 |
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0円 |
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なし |
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なし |
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撮影自由 |
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OK |