鎌倉三十三観音霊場巡り、第1番札所はこちら「杉本寺」です。1枚目の写真、左上に「発願」印が押されてますね。三十三観音巡りの一番目にこの杉本寺に参詣した証です。逆に言うと一番最初に杉本寺に詣でないとこの発願印は押していただけません。途中は順番通りでなくても、最初は杉本寺にお参りしましょう。
本堂に上がると奥の奥に御本尊、三体の十一面観音様がいらっしゃいます。しっかりと手を合わせお参りしましょう。御本尊の十一面観音様の他にもお前立ちの十一面観音様、その他にも間近にたくさんの仏像様を拝むことができます。杉本寺が生活に密着した祈りの場であったことが実感できます。本堂入って右手に御朱印の受付があります。鎌倉三十三観音の御朱印をいただきたい旨をしっかり伝えましょう。御朱印帳は事前に用意してなくても大丈夫。御朱印受付で御朱印帳も購入可能です。坂東三十三観音の御朱印帳を購入しないように注意しましょうね。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第2番札所は「宝戒寺」。鶴岡八幡宮の前を右手に曲がり少し歩いた所に宝戒寺はあります。杉本寺と同じく、こちらも本堂に上がることができます。たくさんの仏像が間近に拝めるところも杉本寺と一緒で地域の住民の信仰の場であったことが色濃く感じることができます。
宝戒寺の御本尊は「子育て地蔵」様。本堂奥の中央に鎮座していらっしゃいます。今回のお目当て「准胝観音」様は本堂奥の左手、前列中央にいらっしゃいます。しっかりとお参りをしたら本堂内の御朱印受付にて御朱印をいただきましょう。こちら宝戒寺さんでも「鎌倉三十三観音の御朱印」をいただきたい旨、伝えましょう。
鎌倉三十三観音、第3番札所「安養院」。春にはツツジで境内が赤紫一色になり、訪れる人が多く賑やかになりますが、訪れた2月始めは静かな雰囲気。境内を掃除する箒の音が心地よく響きます。山門をくぐると目の前に本堂。こちらの本堂に今回のお目当て「千手観音」様がいらっしゃいます。御本尊は「阿弥陀如来」様ですが、その阿弥陀如来様のすぐ後ろに千手観音様が控えてます。
お参りしたら山門入って右手の御朱印受付へ。
そうそう、こちらへ来たら忘れずに本堂裏手へ回りましょう。鎌倉最古と言われる宝篋印塔と北条政子のお墓があります。第24番札所、寿福寺にも北条政子のものと伝わるお墓がありますから、見比べてみたり、歴史を謎解いてみたりするのも一興ですね。
さて、第4番札所は鎌倉有数の人気スポット「長谷寺」です。人気もさることながら、その歴史も鎌倉有数のもの。今回のお目当て、御本尊の十一面観音様ははるばる奈良から海に流されて736年に流れ着いたと伝わります。その流れ着いた観音様を祀った場所がこの長谷寺の由来ですが、創建年代を裏付ける資料はなく、実は謎に包まれた寺院なのです。はるばる海を渡ってきた由来、そして木造仏として日本最大級を誇る大きさ。さすがのスケール感です。なんだか大きな願いもかなえてくれそうです。
御朱印は入山してすぐ左側にある御朱印受付でお願いしましょう。日中は混雑必至なので、まずは御朱印帳を預けてからお参りへと向かいましょう。御朱印代は300円です。
鎌倉三十三観音、第5番札所は「来迎寺」。濁点はつけずに ”らいこうじ” と読みます。同じ名前のお寺さんが、鎌倉市内材木座にもあるので間違えないようにご注意ください。ちなみに材木座の来迎寺さんも鎌倉三十三観音の一つで第14番札所に指定されています。
今回のお目当ての如意輪観音様、女性のための観音様とも言われ、厄除けや安産にご利益があるとされています。そのお姿は、片膝をついたその上に右肘をのせ頬を支えるという半跏(はんか)の姿勢。柔らかな眼差しと、しっとりと放つ穏やかなオーラで鎌倉一美しい仏像とも。こちらの如意輪観音様とお参りしたら、東慶寺の水月観音様もお参りしたいところ。どちらも半跏の姿勢と艶やかな美しさで有名な観音様です。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第6番の札所がこちらの「瑞泉寺」。徒歩なら鎌倉駅から40分。バスで行っても最寄りのバス停から徒歩15分を要する、ハイキングには最適のお寺さんです。瑞泉寺横からは天園ハイキングコースがあって北鎌倉、建長寺へと繋がっていますから、お参りの後にこちらにチャレンジするのも鎌倉の自然を感じられていいですね。
四季の草花が溢れる境内奥に本堂があります。お賽銭箱の奥にある障子戸は、少しだけ開くようになっています。その隙間から千手観音様にお参りしましょう。正面奥が御本尊「釈迦牟尼仏」、正面右が開山「夢窓国師」、正面左手にいらっしゃるのが「千手観音」様です。お間違えのないよう、お気をつけ下さいね。
鎌倉三十三観音、第7番札所は「光触寺」。”こうそくじ” と読みます。光則寺と書く同じ名前のお寺さん長谷寺のお隣にもございます。お間違えのないようご注意ください。鎌倉駅からは徒歩だと45分かかります。改めて心を見つめなおすのにいい時間かもしれませんね。
ご本堂に安置される「聖観世音」様ですが、普段はお目にかかることができません。平安時代に作られたとも伝わる、古く、大切な観音様でございまして、また国指定重要文化財の御本尊「頬焼阿弥陀」様もいらっしゃいますので、10名様以上での予約が必要です。本堂備え付けのインターホンでご住職がいらしてくださいます。「お気をつけてお回りくださいね。」の一言が嬉しい春のひと時でした。
鎌倉三十三観音霊場巡り、第8番札所はこちらの「明王院」。供養のお寺ではなく、祈願のお寺です。頼朝、頼家、実朝と三代で源氏の血筋が途絶えた後に執権として実権を握り続けたのは北条氏ですが、対外的に高貴な血筋の将軍が必要で、摂関家から四代将軍として藤原頼経が迎えられました。その藤原頼経が将軍家の祈願所として建てたのがこの明王院です。
祈願所としての実力は折紙付で、鎌倉幕府最大の危機、元寇の際にもこちらで護摩法要が行われました。モンゴル軍を蹴散らした嵐を呼んだ明王院、といっても過言ではありません!私たちのささやかな願いなどいとも簡単に叶えてくれるかもしれませんね。
十一面観音様は本堂右手の小さなお堂にいらっしゃいます。御朱印は本堂左手で。
鎌倉三十三観音、第9番札所は鎌倉五山第五位の寺格を誇る「浄妙寺」。権威ある寺格と歴史の割には観光客も少なめでゆったり気分で拝観することができます。
山門で御朱印を預け、そこからまっすぐ伸びる参道を通って本堂へ。ここに「聖観世音」様がいらっしゃいます。そのお顔を間近で拝見することはできませんが、心静かにしっかりと手を合わせましょう。
さて、お参りが済んだらお抹茶と季節の和菓子をいただきながら枯山水を庭を愉しむ。そんな時間の過ごし方はいかがでしょう。本堂左手にある「喜泉庵」での贅沢なひと時も浄妙寺の魅力です。
鎌倉三十三観音霊場巡り、前半戦の山場とでも申しましょうか。今まで訪れたどちらのお寺も見どころがあって季節によっては素晴らしい景色も堪能できるのですが、竹の庭とお茶どころが有名な「報国寺」はいつでも変わらぬ魅力で私たちを迎えてくれます。
創建は鎌倉幕府滅亡の翌年の1334年。鎌倉幕府倒幕に貢献し、後の室町幕府初代将軍となる足利尊氏の祖父、足利家時によるもの。時は巡って1438年、足利一族が滅亡したのもこの報国寺。聖観音様への祈願とともに、足利一族への供養の気持ちも持って参詣しましょう。
拝観時間は16時まで。お抹茶の受付は15時30分までと比較的早めです。お茶をいただきながらゆったり境内を散策したい方は早めの時間がおすすめです。
十一番札所は下馬交差点近くの街中に馴染む延命寺です。コンクリートの壁に囲まれていて、何気なく前の道を通過しているとお寺だと気がつかない人も多いことでしょう。すっかり現代の町並みに溶け込んだ延命寺ですが、北条時頼夫人によって建てられたと伝わる歴史ある立派な寺院です。本堂には貴重な仏像が今でも祀られています。
まずは本堂にご挨拶。コンクリート敷きの境内は目立った装飾もなくとてもシンプルですが、本堂はなかなか立派です。本内部の参拝は当日は受け付けていないそうですが、前日に電話をして予約しておけば本堂内の拝観が可能とのことです。扉の前に堂内の説明がわかりやすく書かれていたのでお参りがしやすいです。ただし、扉は細く開けられているだけなので、よく目を凝らしてありがたい仏さまを目に焼き付けます。ご本尊は立派な光背を背負った金色に輝く阿弥陀如来像。浄土宗の寺院らしい煌びやかなゴールドが目立つ堂内で一際目立ちます。その手前右側の小さな厨子の中に今回のお目当てである「聖観世音」さまが祀られています。阿弥陀如来像と同じく金色に輝く聖観世音さま。左端にいらっしゃる大きくて立派な身代地蔵さま(鎌倉二十四地蔵のひとつ)よりも目立ちませんが、ここ延命寺ではこちらの聖観世音さまにお参りしましょう。
御朱印は庫裏のチャイムを鳴らしていただくことができます。時間については書かれていませんでしたが、日中でお寺の方がいらっしゃる時ならばいつでも書いていただけそうな雰囲気。浄土宗らしい開かれた空間を感じる延命寺でした。
十二番札所は大町の住宅街に静かに佇む教恩寺です。本堂の阿弥陀三尊は捕らえられた平重衡が深く信仰していたと伝わるものです。その右側に祀られているのが十二番札所となっている聖観世音さまです。
交通量の多い大町大路から小さな路地へ入った先に教恩寺はあります。大町四つ角交差点から鎌倉寄りに少し歩き、お肉屋さんの角を折れると目線の先には質素な山門。周囲は閑静な住宅街ですが、お寺の近くになると舗装されていない砂利道となります。山門に近づいて見上げると、質素ながらも十六羅漢が施されているのがわかります。境内は広くはないですが、緑が多くて風情のあるお寺です。参道には通せんぼするかのように桜の木が目線の高さを横切っており、こちらをくぐって本堂へと向かいます。
教恩寺のご本尊は、1184年に起きた一ノ谷の戦いで破れ捕らえられた平重衡が鎌倉に連行された時、源頼朝から「平氏の冥福を祈るように」と与えられた阿弥陀三尊が祀られます。運慶作と伝わる像で中央に阿弥陀如来、右脇侍に勢至菩薩、左脇侍に観音菩薩が祀られます。ここで気をつけたいのが、鎌倉三十三観音とされているのは阿弥陀三尊のひとつの観音さまではなく、さらにその右側に別個に祀られた聖観世音さまであるということ。細く開けられた本堂の隙間から覗くことができるのですが、ちょうど柱の陰になっていてその姿を見ることできませんでした。本堂の脇に朱印所が設けられていて時間は9時から4時までと記されています。チャイムを鳴らして御朱印をいただく時に、拝観できないかと聞いてみましたが残念ながら拝観は行なっていないとのことです。しかし、三十三観音を巡らなければご縁がなかったであろう教恩寺を参拝できたことを嬉しく思いながら、小さなお寺を後にしたのでした。
十三番札所は大町大路沿いにある小さな時宗の寺院・別願寺。鎌倉三十三観音のうちただ一つの魚藍観世音(ぎょらんかんぜおん)さまを祀る寺院でもあります。
別願寺が建つ大町大路沿いの周辺には、安養院や上行寺、教恩寺、少し先には安国論寺、長勝寺など寺院が集中している地域です。その中でも最もお寺感を封印した佇まいで住宅街に溶け込んでいるのが別願寺でしょう。庫裏は洋風の住宅となっていて、海の近くを思わせるようなアロハな装飾が施されていたりします。御朱印を頂こうと、本堂でチャイムを探すと「お隣の玄関からお願いします」とありました。庫裏の玄関前には小さな可愛らしい黒板があり、「朱印所」の文字が見て取れます。「御朱印を書いている間にどうぞ本堂からご参拝ください。」と住職さんに言っていただいたので先ほどの本堂へ戻り、ご本尊の阿弥陀如来さまへお参りしました。残念ながら目的の魚藍観世音さまにはお会いできませんでした。堂内でフラダンス教室が開かれており、現代のお寺の在り方のひとつを垣間見た気がしました。
魚藍観世音さまは魚籠(びく:魚を入れるカゴ)を下げた姿をしています。魚を扱っていた美女が法華経を広めるために現れた観音の化身であったことから「魚藍観世音」として信仰されるようになったと伝わります。海からそう遠くない別願寺に魚藍観世音さまが祀られたのも何かの縁なのでしょうね。御朱印の下の方にはひっそりと「魚のスタンプ」が二つ付けられていて遊び心も満載の別願寺。こんな思いがけない発見も御朱印集めの醍醐味の一つではないかなと思います。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 みほとけの祈り」かまくら春秋社 平成29年4月5日 発行
十四番札所は材木座にある時宗の来迎寺です。本堂に祀られている聖観世音さまは、祈れば知恵福徳円満な子供を授かるとして昔から信仰されており「子育て観音さま」として親しまれています。
鎌倉三十三観音では五番札所も来迎寺(西御門)ですが、ここ十四番札所も来迎寺と同じ名前の別のお寺なのでお参りする際は間違えないように気をつけましょう。材木座の来迎寺は時宗の寺院で閑静な住宅街の中に佇んでいます。観光的要素は薄く、すれ違った参拝者はおそらく皆、三十三観音巡りのようでした。一部が朱色に装飾された本堂は質素ながらも少し華やかな印象。姿ははっきりと見えませんでしたが、奥の方にお祭りされたご本尊と聖観世音さまにお参りをします。本堂にお参りしたら現代的な一戸建てとなっている庫裏でチャイムを鳴らし、御朱印をいただきます。
来迎寺の聖観世音さまは「子育て観音」さまとも呼ばれます。かつて本堂の裏の小高い丘の上に観音堂が建っており、聖観世音さまはそこに祀られていました。太平洋戦争の際に敵機から目立つという理由で取り壊されてしまい、聖観世音さまは本堂にうつされたといいます。本堂裏の山からは相模湾と鎌倉の街が一望でき、長谷寺の長谷観音と相対する位置だったのだそうです。長い間、鎌倉の街を高台から見守ってきた聖観世音さまに思いを馳せながらお参りしましょう。
十五番札所は材木座にある小さなお寺、向福寺です。材木座のバス通りからほど近い場所にあり、とても静かなお寺さんです。ご本尊は阿弥陀三尊で、左脇侍の観音さまが鎌倉三十三観音の十五番目となっています。
真夏の材木座は照りつける日差しがギラギラと厳しく、お寺を探して歩き回るのも一苦労。向福寺がある場所は、材木座のバス通りに面してはいますが、家と家の間を入った少し奥まった場所にあるためわかりにくいです。しばらくうろうろしてようやくたどり着いたお寺の入り口には一本の大きな桜の木。四方に枝葉を伸ばし、貴重な木陰を作り出していました。山門は無く「時宗向福寺」と刻まれた柱からまっすぐと本堂へ参道が伸びます。
昭和の一般住宅といった雰囲気を漂わせる赤い屋根の本堂は、併設された庫裏と間続きになっているようでした。10時頃に訪れるとちょうどお掃除の時間帯だったようで、本堂の畳を掃除機をかけていたところでした。チャイムを押すとすぐに住職さんらしき男性が出てきて快く御朱印帳を預かってくれ、さらには本堂がよく見えるようにと扉を全開にしてくれました。阿弥陀三尊が祀られており、中尊の阿弥陀如来さまの左側が今回の目的である聖観世音さまです。薄暗くてその様子をはっきりとは捉えられませんでしたが、仏さまの様子を見せていただけることはとても嬉しいものです。何事にも感謝の気持ちを忘れずに過ごしたいと、そんなことを思わせてくれる暖かい空気を持った向福寺でした。
十六番札所は材木座にある浄土宗の九品寺です。材木座海岸からかなり近い場所にあり、香る潮風が心地よい場所に立っています。ご本尊の阿弥陀三尊のうち左脇侍の聖観世音さまが鎌倉三十三観音の一つとなっています。
鎌倉駅から「九品寺循環」というバスが出ていたり「九品寺」という停留所があったりと、地元では馴染みの深いお寺であるように思います。停留所を降りると程なくバス通りに面した九品寺に到着です。真夏の材木座を照りつける太陽を時々吹く心地よい海風が緩和してくれます。山門の手前には東日本大震災の追善供養のためのお地蔵さまが祀られ、その日陰で汗を拭いてから本堂へと参拝しました。このあたりの材木座にある小さな寺院の中では、九品寺の本堂は堂々としたかなり立派な佇まいです。
新田義貞が鎌倉攻めの両軍の犠牲者を弔う目的で1336年に創建した九品寺。その当初からずっとこの場所に九品寺はあります。お寺でいただける縁起によると、ご本尊の阿弥陀如来さまは聖徳太子の作で開山の風航順西(ふうこうじゅんさい)によってここ九品寺に移されてきたのだといいます。鎌倉三十三観音の十六番札所である聖観世音さまは、中尊の左脇侍です。九品寺の本堂は扉が閉ざされていて直接お目にかかることはできませんでした。本堂の左側に玄関があり、「御朱印は一番奥の玄関からお願いします」という主旨の張り紙があったので、そちらからチャイムを鳴らしましたが誰も出ずしばらく待ちぼうけ。真ん中の玄関に戻り何度かチャイムを鳴らすと住職さんが出てくれて、奥の玄関から対応してくれました。今日は帰ろうかとも思いましたが、諦めずに待ってみるものですね。
十七番札所は材木座にある真言宗の小さな寺院、補陀落寺です。「ふだらく」と読みます。仏教では西に阿弥陀浄土、南に補陀落浄土があると信じられています。補陀落の意味は観音さまの住処や降り立った山を示しますので「補陀落寺」はまさに観音さまの寺院、鎌倉三十三観音巡りに欠かせないお寺さんなのです。ご本尊には観音さまのひとり、十一面観世音さまが祀られます。
材木座の街中を走るメインのバス通りから一本中に入った場所にありますが、光明寺の方から地図を見ながらアクセスしてみました。住宅街の間を這うように家と家の間を続く歩行者しか通れないような路地を抜けると、補陀落寺の裏に到着します。山門は無く、二本の石柱間を通って境内へと進みます。小さいながらも綺麗に整えられたお庭は美しく、立派な佇まいです。本堂は透明なガラス戸になっている部分があり、中を覗けるようになっています。堂内を見てびっくり、この小さなお堂の中にズラリとたくさんの仏像が並んでいるのです。今回のお目当は中央のご本尊である十一面観世音さま、残念ながらお顔から上が隠れてしまっていて見れませんでしたが、それでも存在感のある佇まいでした。
源頼朝によって1181年に建てられた補陀落寺の本堂内には、ご本尊の十一面観世音のほかに薬師三尊、地蔵菩薩、弘法大師、愛染明王、不動明王、千手観音、毘沙門天など実に多くの像が残されています。これはかつて補陀落寺に不動堂や観音堂、薬師堂などがあったことを証明するものになっているようです。御朱印は本堂右奥の庫裏で頂けました。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 みほとけの祈り」かまくら春秋社 平成29年4月5日 発行
十八番札所は材木座海岸に最も近い大寺院・光明寺です。鎌倉随一の大きさを誇る本堂内に鎌倉三十三観音札所の如意輪観世音さまが祀られます。浄土宗の関東総本山でもある光明寺は、小さな寺院が多い材木座の地域で一際目立つ存在です。御朱印は山門をくぐって左側にある寺務所でいただけます。
材木座海岸は目と鼻の先、潮風が最も香るお寺である光明寺。遠くに離れないとカメラに収まらないほど大きな山門をはじめ、大きな本堂とその横にある立派な記主庭園と枯山水と見どころは満載です。かつては蓮華寺(れんげじ)という名であった光明寺の記主庭園の池では、今でも夏の訪れを知らせるように古代蓮が華麗に咲き誇ります。今回のお目当の如意輪観世音さまは本堂の左脇壇に祀られています。浄土宗ならではの開かれた寺院となっているため、広い空間を持つ本堂内に参拝者は自由に出入りできます。さらに、如意輪観世音さまは本当に間近での参拝が可能なのです。錆などで少しくすんだ色になってきている金色の像は、徳川家康に仕えた内藤忠興一家の菩提所に祀られていたものといわれます。
如意とは思うままになるという意味があり、如意輪観世音さまは人々を苦悩から救いあらゆる願いを叶えるとされています。6本の手を持つことから六道すべての者を救済するともいわれます。右膝を立て、そこへ右肘を付いて顔を支えて何か考えているようなポーズですが、左手は人差し指で天を指していて、ぱっと見るとなんだかファンキーな印象も持ちますが、人々をどのようにして救うか考えている姿とされます。お顔をよく見ると優しいまろやかな表情で、女性らしい出で立ちをしていることにも気付きます。
十九番札所は材木座にある小さなお寺、蓮乗院です。光明寺の巨大な山門の右脇に佇む浄土宗の寺院なのですが、その歴史は光明寺創建よりも以前に遡ります。本堂には本尊の阿弥陀三尊と一緒に十一面観世音さまが祀られています。
材木座に建つ広大な寺院である光明寺と隣接している蓮乗院。何度も光明寺を訪れていましたが、蓮乗院は光明寺の山門の陰に隠れているかのような位置にあるため、今までお参りしたことがありませんでした。大きさや立地からどう見ても光明寺の塔頭なのかなと思ってしまうのですが、光明寺の前身になっている由緒あるお寺なのです。現在でも光明寺との関わりは深く、新住職が入山する際には必ず蓮乗院に一度入る慣例が残っているのだそうです。山門も光明寺と比べてしまうので小さいと思いがちですが、このあたりの他の寺院と比べると立派な山門が残されている寺院といえそうです。
本堂には阿弥陀三尊がご本尊として祀られ、阿弥陀如来さまの手前の小さな厨子の中に祀られているのが十九番札所となる十一面観世音さまです。本堂の扉は閉められていますが、「50センチほど開きます。開けたら閉めてください。」というような趣旨が張り紙してありました。そっと開けてみると、堂内は薄暗いですが箱に入った十一面観世音さまの小さな黒い像を拝観することができました。御朱印は本堂右側の庫裏で頂けます。庫裏の玄関も立派な作りで、蓮乗寺の縁起が記された冊子もいただけます。
二十番札所は十九番の蓮乗院に続き、光明寺の脇に建つ小さな浄土宗の寺院である千手院です。朱い山門が印象的な千手院の本堂には鎌倉三十三観音の札所となっている千手観世音さまが祀られています。
蓮乗院は光明寺の山門のすぐ脇にあり「支院」という雰囲気が強く出ているのに対して、千手院はこの朱色の山門が独立性をアピールしているかのようにも思えます。歴史的にはやはり千手院も光明寺とつながりの深いお寺さんのようで、光明寺の修行僧がここ千手院を修行道場として使用していたり、近年明治頃には材木座の子供たちを教える寺子屋として機能していた時代もあったようです。山門をくぐって中へ歩みを進めると、綺麗に整えられた境内が迎え入れてくれます。本堂にお参りして、右横に隣接されている庫裏へと向かい御朱印をいただきました。
本堂の中央奥に祀られているのが千手観世音さまです。天文元年(1532年)、恢誉(かいよ)上人の守護仏として一緒に祀られている阿弥陀如来さまとともに鎌倉にもたらされたと伝わります。千手観世音さまの大きさと存在感はやはり圧倒されるものがあります。千手院の千手観世音さまは京都の清水寺と同じく四十二臂(ひ)(42本の腕を持つ)を持っているため「清水寺式千手観世音」といわれます。千手観世音さまは千の慈悲の眼と千の慈悲の手で人々を救うと言われますが、実際に1000の腕の仏像を作るのは難しく、42本の手と27の面で作られた像が一般的なのだそうです。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」かまくら春秋社 平成26年10月18日 発行
二十一番札所は成就院の聖観世音さまです。極楽寺坂切り通しの高台に建つ寺院で、紫陽花の名所(2018年から紫陽花の公開は再開予定)としても有名です。
極楽寺エリアでは言わずと知れた成就院。承久元年(1219年)に北条泰時によって建てられたお寺です。この地は鶴岡八幡宮の南西の方角で裏鬼門にあたるため、鎌倉の街と人々を守るようにと願いが込めて創建されました。その願いが成就するように「成就院」と名付けられたと伝わります。ご本尊に不動明王を祀り、縁結びのパワースポットとしても知られます。
交通量のある極楽寺坂から上へと続いていく階段は煩悩の数に合わせて108段あるといいます。その先には、西側と東側それぞれに小さな山門が設けられ「結界」と示され、この先が境内であることを教えてくれます。ここの通りから見る相模湾は実に綺麗で、鎌倉を代表するシービュースポットといえるでしょう。そんな景色を見ながらメインの山門をくぐると、こじんまりとした境内がお出迎えです。広くはないですが草木が整えられた境内は美しいものです。本堂のご本尊と一緒に二十一番札所の聖観世音さまが祀られています。お寺の方に聞いたところによると、聖観世音さまはご本尊の右側にいるそうですが、ガラス戸が反射してしまうので中の様子は知ることができませんでした。御朱印は左側にある朱印所で頂けます。真夏の暑い日に訪れると、「お中元の時期で色々いただくので、よかったらどうぞ。」とお菓子を一ついただき、ちょっとほっこりとした気分になりました。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」かまくら春秋社 平成26年10月18日 発行
二十二番札所は極楽寺の観音堂に祀られた如意輪観世音さまです。桜並木の参道を本堂に向かって進むと、入り口を萩に覆われた観音堂があります。
極楽寺といえば映画「海街Diary」でも舞台になっていたりドラマのロケ地に使われたりと、なにかと有名なお寺さんです。歴史的には極楽寺といえば忍性上人というほどこの方によってお寺は大きくなりました。積極的に福祉に貢献した忍性上人は、極楽寺坂を整備し鎌倉へ安全に入れるようにしたともいわれていてその活躍には頭が上がりません。真夏の極楽寺の山門前は芙蓉の花が咲き誇りとても華やかな季節です。山門の右下の小さな入り口をくぐり、爽やかな緑に覆われた桜並木の下に続く山道を進みます。本堂は参道の突き当たりにありますが、如意輪観世音さまが祀られているのは参道の途中、右手にひっそりと立っているお堂です。その入り口には萩が生い茂り、小さな観音堂を守っているかのようです。
観音堂は瓦屋根で質素な作りですがとても風情のある佇まいです。「みのりとく わしのみやまを まのあたり 弥陀のみくにに 入るここちして」という句が掲げられています。頭を下げて一拝し中の様子を伺ってみましたが、ガラス戸になっているものの中の様子を知ることはできませんでした。御朱印は本堂左手にある立派な朱印所で頂くことができます。
二十三番札所は大仏さまで有名な高徳院です。大仏さまの他に仏さまがいるの?と思ってしまいがちですが、裏手にある観月堂に聖観世音さまが祀られています。御朱印は大仏さまの左手にある朱印所で頂けます。
鎌倉の大仏さまは国宝にも指定されている言わずと知れた存在です。奈良の大仏さまと比べれば大きさは劣るものの、長い年月の間ずっと露座である大変珍しい仏さまなのです。創建当初は金箔に覆われていたといいますが、今ではすっかり剥がれてしまっています。源頼朝の発願によって大仏建立が決まったいわれていますが、これだけ有名な大仏さまなのに正確な創建年などは未だにわかっておらず謎めいた大仏さまでもあります。
鎌倉三十三観音の二十三番札所となっている高徳院の聖観世音さま。観光客で賑わう大仏さまの周りから離れ、木々が木陰を作る裏手にまわると「観月堂」と呼ばれる小さなお堂があります。このお堂は大正13年(1924年)にソウルの朝鮮王宮にあったもので、杉野喜精氏(昭和初期の実業家で山一証券の創業者)によって高徳院に寄贈されたものです。観月堂は月を鑑賞する宮殿の風流な施設でしたが、現在はここに聖観世音さまと高徳院を再興した祐天上人の像が祀られています。聖観世音さまは江戸幕府二代将軍であった徳川秀忠の持仏と伝わります。
二十四番札所は扇ガ谷の静かな古刹、寿福寺です。鎌倉五山第3位に列せられる寿福寺には多くの文化財が残されており、鎌倉国宝館に委託されているものもあります。非公開の本堂の中に十一面観世音さまが祀られます。
鎌倉五山第3位の寿福寺はかつては広大な寺院であったと伝わります。今では小さな境内を残すのみですが、源頼朝ゆかりの地に北条政子が寺院を建てたのが始まりです。鎌倉の多くのガイドブックでも紹介される寿福寺の参道はとても美しく、中世の香りを残しています。境内は特別な時に公開されるのみで普段は中門から覗けるだけです。
寿福寺の朱印所は少しわかりにくいです。十三仏や二十四地蔵などで何度か訪れている寿福寺の朱印所ですが、毎回少しドキドキしてしまいます。中門を正面に見て、左手に折れると車止めがあり一般参拝者立ち入り禁止のような旨が書かれた薄れた看板があります。その先を進んでいくと内玄関と朱印所があるわけなのですが、他の参拝者がいたりすると少し入っていきにくいのです。私は「用事がありますよ〜」というアピールで御朱印帳を手に持って中へ進むようにしています。御朱印をいただくのは立派な寺用なので…。お盆に訪れると住職さんが法要で不在とのことで書き置きの御朱印をいただきました。
二十五番札所は扇ケ谷の住宅街に静かに佇む浄光明寺。室町幕府を創建した足利尊氏も滞在していた時期があり、足利氏と関わりが深い寺院です。観音堂に千手観世音さまが祀られています。
浄光明寺の境内はひな壇のような形状になっており、狭い土地に境内を広く取るための鎌倉ならではの工夫が凝らされています。一段目はいつでも拝観可能で、庫裏や客殿、鐘楼、不動堂などが並びます。二段目から上は木曜と土日のみの公開。こちらは本当に見所が満載で、特に国の重要文化財となっている収蔵庫の阿弥陀三尊は驚くばかりの存在感を放ちます。中尊の阿弥陀如来さまとは、正面でしゃがんでみるとちょうど目が合うようになっています。そんな人だかりのできる収蔵庫のさらに奥に、今回のお目当てである千手観世音さまが祀られる観音堂が建っています。岩肌を削って作られた境内の端に位置しているため、荒々しい岩壁に囲まれる観音堂。残念ながら非公開なので、堂前で静かに手を合わせました。
御朱印は境内一段目の庫裏で頂くことができます。山門を入って左手に折れ、客殿の前を通ると庫裏があります。チャイムを鳴らして待ちましょう。浄光明寺も様々な御朱印があるので「観音さまの御朱印」と一言添えると良いでしょう。
二十六番札所は扇ケ谷の再奥にある海蔵寺です。谷戸の恩恵を受けた境内はいつも水で潤っていて、季節を問わず花々で溢れます。本堂のご本尊に十一面観世音さまが祀られています。御朱印は庫裏で頂くことができます。
8月の海蔵寺を訪れると山門前のハギが成長していて、山門の間から見える境内の様子を隠すようで神秘的な佇まいになっていました。これから秋にかけてハギの花が咲く頃はさらに魅力的な景色となりそうです。いつでも綺麗に整えられた境内の庭園は住職さん自らお手入れされています。夏の花であるフヨウやノウゼンカズラ、桔梗や蓮などが見事に咲いていました。
海蔵寺で有名な仏さまといえば、やはり仏殿の「啼き薬師」と呼ばれる薬師如来さま。60数年に一度しかご開帳されない胎内仏を持つ仏さまです。仏殿はいつでも拝観が可能で、薄暗い土間の堂内に並んで仏像群を拝むことができます。一方、鎌倉三十三観音の二十六番札所となっている十一面観世音さまは、中興開祖の心昭空外坐像とともに本堂に祀られています。海蔵寺は室町時代後期に最も栄え、十数の塔頭を従えた時代もありましたが江戸時代に衰退。現在残る仏殿と本堂は安永6年(1777年)に浄智寺から移築されたものだということです。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」かまくら春秋社 平成26年10月18日 発行
二十七番札所は建長寺の塔頭の一つである妙高院です。建長寺の拝観受付から桜並木の参道を進み、三門の手前で右手に向かうと妙高院があります。聖観世音さまは妙高院の本堂に祀られます。
建長寺の立派な三門に気を取られ、妙高院を目に留めずに通り過ぎる人はおそらく多いことでしょう。私も観音さま巡りをしていなければ通り過ぎていた場所でした。三十三観音めぐりで妙高院はなかなかハードルの高い札所かもしれません。萩が生い茂る階段を上ると小さな山門。その山門に掲げられた「妙高院」の文字と同じくらい大きく書かれた「禁」の文字。一般参拝者を受け付けていないので、中に入れるのは檀家と御朱印を頂きに来た人のみとなっているわけです。「禁」と書かれた看板の左側の木戸を開けておそるおそる境内にお邪魔します。
境内はとても整えられていて綺麗で、御朱印の参拝者のために案内がしっかり表示されていてほっと安堵のため息。本堂は閉ざされ階段をあがることも不可ですが、下から静かに手を合わせました。本堂には本尊の宝冠釈迦如来さまとともに聖観世音さまが祀られています。御朱印は本堂のすぐ左手にある玄関口のチャイムを鳴らすとお寺の方が対応してくれます。
最盛期には49もの塔頭を従えた建長寺は現在でも12の塔頭を持ち、そのうちの一つが妙高院です。正しくは若昇山妙高院(じゃくしょうざんみょうこういん)といいます。貞和二年(1346年)に創建され、開山は肯山聞悟(こうざんもんご)です。
二十八番札所は建長寺の法堂に祀られる千手観世音さまです。小泉淳作氏によって描かれた壮大な天井絵「雲龍図」のもとに、釈迦苦行像と千手観世音さまが前後して祀られています。
建長寺は参拝者が多い大きな寺院なので、先に朱印所で御朱印帳を預けてから参拝へ向かうのが慣例のようです。私の訪れた平日はたまたま空いていたので、先に書きますよ〜と言っていただけて幸運でした。さらに二十七番札所の妙高院と二十九番札所の龍峰院の場所も親切に説明していただけました。
参拝鎌倉五山第一位の建長寺は、かつては七堂伽藍に49の塔頭を従えた巨大な寺院でした。現在残る境内も鎌倉の中ではかなり大規模です。拝観口から続く参道を歩きながら目線を上に上げると、背の高い大きくて立派な三門が出迎えてくれます。さらにその先に仏殿、法堂が並ぶ様は実に荘厳です。今回のお目当てである千手観世音さまは法堂のご本尊として祀られています。建長寺の法堂というと小泉淳作氏が描いた雲龍図が本当に見事でこちらにばかり目が行ってしまうのですが、千手観世音さまもかなりの迫力です。ミーハーなのかもしれませんが、個人的には観音さまの中で迫力があって凄みを感じるのは千手観世音さまなのです。おそらく木造と思われるその像は、穏やかな温かみのあるお顔をされています。
二十九番札所は建長寺の塔頭のひとつ、龍峰院です。半僧坊へとまわり込んでいく道の途中にあり、天源院と隣り合わせに建っています。本堂にご本尊である聖観世音さまを祀ります。
建長寺の金色に輝く唐門を正面に見て、左手へと伸びる道を進んでいきます。この通りは裏山にそびえる半僧坊へと通じていて、車両が通行することもありますのでご注意を。秋には紅葉、夏には紫陽花が見事な石段を上がって行った正面が天源院、左手が龍峰院となっています。このあたりは訪れる人もまばらで、階段の途中に絵を描いている年配者を見かけたくらいでした。龍峰院も二十七番札所の妙高院と同様に、一般参拝者の立ち入りを禁じています。檀家もしくは御朱印をいただく人のみが特別に境内へ入ることが許されます。山門の右手にある小さな押し戸から中へ入って行きます。思っていたよりも奥行きのある境内はすぐ裏に山を背負い、とても雰囲気のある場所でした。綺麗に整えられた参道は風情のある佇まい。中門があり、その先が本堂と庫裏、墓苑となっています。本堂は閉ざされていて中の様子は伺えません。こちらに本尊として聖観世音さまが祀られています。本堂から右手に進むと庫裏があるので、そちらで御朱印をいただきます。
蓬莱山龍峰院(ほうらいさんりゅうほういん)は建治3年(1277年)に建てられた八代執権・北条時宗の持仏堂が前身です。その後、九代執権・北条貞時が時宗の持仏堂を龍峰院として徳治2年(1307年)に創建しています。建長寺の開山・蘭渓道隆のもとで修行した隆約翁徳儉(やくおうとくけん)を開山に招いています。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」かまくら春秋社 平成26年10月18日 発行
三十番札所はあじさい寺で有名な北鎌倉の明月院です。明月院本堂のご本尊として祀られているのが札所本尊の聖観世音さまです。
紫陽花の時期はおそらく鎌倉一の賑わいとなる明月院。紅葉もとても綺麗なお寺です。それ以外の季節では、静かな落ち着いた雰囲気の境内を感じることができます。明月院は繁忙期には朱印所が本堂の左のほうに設けられていることがありますが、普段は拝観口を入り左に折れたところに朱印所があります。今回は後者の方で御朱印をいただきました。先に御朱印帳を預け番号札を受け取り、その間に参拝するというスタイルです。
真夏に訪れるとやはり人もまばらでまったりとお参りできました。6月には紫陽花が咲き乱れる石段は、綺麗さっぱり剪定されて緑一色です。石段を登り切り門をくぐった先に枯山水庭園と本堂があります。本堂の右手の方丈には有名な円窓があり、こちらはいつでもフォトスポットとして大人気。それを横目に見ながら、聖観世音さまの祀られる本堂の中へ靴を脱いで上がります。少し距離はありますが、聖観世音さまに直接お参りができます。それほど大きな像ではないのですが、宝冠を冠った聖観世音さまは存在感のある仏さまでした。もとは慈恩寺(廃寺)の観音堂に祀られていましたが、廃寺となってからは明月院に遷ってきました。
三十一番札所は浄智寺です。札所本尊の聖観世音さまは、ご本尊の三世仏が祀られる曇華殿(どんげでん)の裏側にひっそりと祀られています。
北条時宗の弟である北条宗政は29歳の若さでこの世を去りました。その菩提を弔うために建てられたのが北鎌倉の浄智寺で鎌倉五山第四位に列せられます。山と一体感のある境内は里山を思わせるような情緒ある雰囲気が魅力的です。個人的には、不思議と懐かしさを感じる佇まいの書院を庭園側から眺めている時間がとても好きです。茅葺き屋根に馴染みもないのになぜか「懐かしい」と感じるのは遺伝子に刻まれた記憶なのでしょうか。実に美しい景観なのです。真夏でも境内はたくさんの木々に覆われており、涼しい木陰が多いのも浄智寺の良いところです。
情緒ある石段を上がり、拝観口を抜けると印象的な鐘楼門が迎えてくれます。その先にある曇華殿で過去・現在・未来を表すご本尊の三世仏にお参りし、ぐるりとお堂を周り裏手に祀られた札所本尊である聖観世音さまにお参りします。木の格子に囲まれていますが間から中を覗くことができるので、意外と間近での参拝が可能。いつも側には季節の花々が供えらえています。
参拝を終えたら書院の横にある庫裏で御朱印を頂きましょう。浄智寺には多くの御朱印の種類があるので、必ず「観音さまの御朱印」ということを伝えるとスムーズです。
三十二番札所は「駆け込み寺」としても知られ、四季を問わず花に囲まれる東慶寺です。札所本尊の聖観世音さまは境内にある松岡宝蔵にて大事に祀られています。
紫陽花で溢れる6月7月を過ぎると境内も随分と落ち着きを見せます。茅葺き屋根の質素な山門から境内を眺めると、まっすぐと奥に伸びる参道沿いに誰も居ない…という珍しい光景にも出くわしました。お寺は静寂を保っているほうがやはり風情があるものですね。拝観受付で御朱印帳を預け、本堂に参拝してから札所本尊の聖観世音さまに会いに松岡宝蔵へと参ります。
普段はさまざまな展示が行われる松岡宝蔵ですが、たまたまクローズしていたので入場料無しでお参りができました。薄暗い宝蔵に丁寧に祀られた聖観世音さまは大きな像で存在感のある佇まい。立派な蓮台に祀られた像は鎌倉特有の土紋(どもん)が施されています。現在東慶寺に祀られますが、もともとは西御門にあった鎌倉尼五山第一位の大平寺(現在は廃寺)の仏殿に本尊として祀られていました。実はその大平寺の仏殿は、現在は国宝として円覚寺に大切に保持されている舎利殿なのです。創建当初の円覚寺舎利殿は火災にあって消失、大平寺の仏殿を移築したと伝わっています。ちなみに東慶寺は鎌倉尼五山第二位でしたが、その他の4寺は廃寺となってしまったので現存するのは東慶寺のみ、しかも東慶寺は現在は尼寺ではありません。
三十三番札所は円覚寺の境内を奥の方に進んでいった先にある、塔頭・佛日庵です。札所本尊の十一面観世音さまは、開基廟の中に祀られている像の一つです。
ついに33番目、最後のお参りと思うと寂しい思いもしてきます。しかしもちろん達成感もあるので、少しワクワクしながら円覚寺の立派な境内の中を佛日庵へと歩みを進めます。小さいながらも雰囲気の良い佛日庵は、お寺の方のフレンドリーな雰囲気もとても素敵です。拝観受付で「観音様の御朱印を」と告げ、御朱印帳を預けてから開基廟に祀られる十一面観世音さまにお参りしました。
円覚寺は元寇で亡くなった両軍の犠牲者を弔うために北条時宗が建てた寺院です。佛日庵はその開基である北条時宗を祀った廟所です。廟所とはお墓のようなものですが、位の高い人物にしか作られないものです。お堂の下には時宗の遺骨が納められていると伝わります。茅葺き屋根の開基廟の中には北条時宗、貞時、高時それぞれの像と十一面観世音さまが祀られています。一番右側が十一面観世音さまで、しっかりと全体像は見えませんでしたが金色の坐像であることを確認できました。伝承によれば、北条時宗の念持仏だったため開基廟に祀られたと伝わります。
さて、参拝を終えて緋毛氈の上に座ってまったりしていると、御朱印を書き終えたとのお知らせをいただき取りに行きました。「ついに結願ですね、長いことお疲れ様です〜」と労いの言葉をかけてくださいました。御朱印にはしっかりと「結願」の印が押されています。そして33観音巡りの締めにと思い、佛日庵で提供しているお抹茶をいただきました。何度かいただいているお抹茶ですが、この日は格別に感じたものです。こうして鎌倉三十三観音巡りの旅は結願となりました。