建長寺『雲龍図』と小泉淳作画伯。

目次

建長寺・雲龍図で朝食

  • 建長寺・雲龍図1
  • 建長寺・雲龍図2
  • 建仁寺・双竜図1
  • 建仁寺・双竜図2
  • 東大寺本坊襖絵・パンフレット

01
剛毅木訥、ひたすらに自身の求める絵を描き続けた小泉淳作画伯。

1926年(大正13年)10月26日 鎌倉市に生まれる。
5歳の時に実母の死去をきっかけに鎌倉から東京・広尾(現在のドイツ大使館のある場所)の父策太郎本宅へと移る。
1943年(小泉淳作19歳)、慶応幼稚舎から通い慣れた "慶応" を大学予科で中退。
絵描きを目指して東京美術学校(現在の東京藝術大学)へと入学。
しかし、その年の10月に学徒出陣の命により陸軍予備士官学校へと入校。
陸軍予備士官学校在学中に結核と診断され三年に及ぶ療養生活へ。
1948年、24歳の時に東京藝術大学へ復学し、
1952年、29歳で卒業。

それからしばらくは画家として鳴かず飛ばずの時を過ごす。
画家として注目され始める70年代、80年代までは
商業デザインや趣味の陶芸で生活の糧を得ていた。

画家として光り輝き始めるのは、50代半ば以降。墨絵と出会ってから。
活躍の場を水墨画・墨絵に移しながら、その足跡は後期三大作へと繋がってゆく。
2000年(76歳) 鎌倉・建長寺『雲龍図』完成
2001年(77歳) 京都・建仁寺『双龍図』完成
2010年(86歳) 奈良・東大寺本坊襖絵全40面完成

2012年、肺炎のため87歳で逝去。

『我の名はシイラカンス。3億年を生きるものなり』の巻末では
遺言として以下のように締めくくっている。

絵は技量が全てではない。
うまいだけの絵、
他人の目や世間の評判、
画壇の評価ばかり気にして、
自らの絵に魂をふき込むのを忘れてはいけない。
憧れや畏敬や哲学を持て。
自分の絵を追い求めろ。

 01-1 
2000年完成 鎌倉・建長寺法堂『雲龍図』

鎌倉・建長寺『雲龍図』

  • 鎌倉・建長寺の雲龍図
  • 鎌倉・建長寺の雲龍図2
  • 鎌倉・建長寺法堂

建長寺創建750年記念事業の一環として法堂(はっとう)に描かれた『雲龍図』は2000年の完成。
建長寺から依頼があったのは1996年というから、構想から下図、完成まで4年の歳月をかけ、
縦10m × 横12m、つまり畳約80畳分のスペースに書き上げた大仕事。

禅寺の法堂の天井には龍の絵を掲げる事が慣わしのようになっていて、
天井に書かれた龍は、雷雲を呼び雨を降らせるが如く仏法の教えを修行僧に降り注ぐといいます。

ところで、これまでに描かれた日本の龍の絵は『三爪の龍』がほとんど。
なぜなら五本の爪を持つ龍は中国の皇帝の象徴で、属国朝鮮王朝の龍は四爪。さらに東へと渡った日本は三爪の龍。
小泉画伯が書いたのは『五爪の龍』。
画伯の剛胆な性格が感じられます。

鎌倉・建長寺『雲龍図』
所有 巨福山 建長興国禅寺(こふくさん けんちょうこうこくぜんじ)
名称 建長寺法堂天井画『雲龍図』
サイズ 縦10m × 横12m(畳80畳分)
工法 組子工法
完成年 2000年
奉納 法堂への奉納は 2002年
スポンサー 横河電機
住所 〒247-8525、神奈川県鎌倉市山ノ内8
アクセス 北鎌倉駅より徒歩15分
WEBサイト http://www.kenchoji.com

 UNIQUELY鎌倉 
建長寺 拝観時間・アクセス等

 01-2 
2001年完成 京都・建仁寺法堂『双龍図』

京都・建仁寺『双竜図』

  • 京都・建仁寺『双竜図』
  • 京都・建仁寺『双竜図』2
  • 京都・建仁寺『双竜図』3
  • 京都・建仁寺『双竜図』のある法堂
  • 京都・建仁寺北門
  • 京都・建仁寺『双竜図』

建長寺『雲龍図』がきっかけで描くことになったのが、京都・建仁寺法堂の『双龍図』。
先述したように禅寺の法堂天井には龍を描くのが慣わしですが、
この歴史ある建仁寺の法堂には龍の絵が描かれた痕跡もなかったといいます。
そこで白羽の矢が立ったのが小泉画伯。

建仁寺の天井画は建長寺のそれよりもさらに大きな畳108畳分(縦11.4m × 横15.7m)。
創建800年記念事業(創建1202年)の一環でした。

巨大なスペースに描かれたのは、雲と火焔の中を飛び交う阿形吽形の二匹の龍。
建長寺『雲龍図』同様、力強い五爪の龍です。

京都・建仁寺『双龍図』
所有 東山 建仁禅寺 (とうざん けんにんぜんじ)
名称 建仁寺法堂天井画『双龍図』
サイズ 縦11.4m × 横15.7m(畳108畳分)
完成年 2001年
奉納 法堂への奉納は 2002年
住所 〒605-0811 京都市東山区大和大路通四条下る小松町584
アクセス JR京都駅よりタクシーで10分。
京阪電車「祇園四条駅」より徒歩 7分
阪急電車「河原町駅」より徒歩10分
WEBサイト http://www.kenninji.jp
その他文化財 国宝:風神雷神図(俵屋宗達筆)原本は京都国立博物館に寄託。
重要文化財:勅使門 / 方丈 等

 01-3 
2010年完成 奈良・東大寺本坊『襖絵』

奈良・東大寺小泉淳作展

  • 奈良・東大寺小泉淳作展
  • 奈良・東大寺小泉淳作展パンフレット1
  • 奈良・東大寺小泉淳作展パンフレット2
  • 奈良・東大寺金堂(大仏殿)

建長寺『雲龍図』、建仁寺『双龍図』と晩年になり大作が続きましたが、
さらなる大きな依頼が小泉画伯の元に届きます。

依頼主は華厳宗大本山東大寺。
あの奈良の大仏さんの東大寺です。
依頼内容は東大寺を建立した聖武天皇と光明皇后の肖像画、そして本坊の襖絵40枚。
その時、画伯は80歳。
人生最後にして最大の挑戦です。

一番の見所は、奈良県宇陀市の又兵衛桜を襖4面に描いた『しだれ桜』。
月明かりにゆらりと照らされながら、美しく舞う桜吹雪。
まずは幹、枝を描き、その上から一枚一枚桜の花びらを丁寧に書き込んでいった力作です。
本人も「石を積むような作業だった。」と振り返ります。

80歳を過ぎから5年余りの歳月をかけて完成したこのプロジェクト。
自己顕示欲を一切捨て、自分を無にして挑んだとのこと。
ゆえに画伯のサインはどこにも見当たりません。

残念ながら普段は拝観不可。
時折、期間限定で拝観可能となります。

奈良・東大寺本坊襖絵
所有 華厳宗大本山 東大寺
サイズ 襖40面
奉納 2010年
住所 〒630-8587 奈良市雑司町406-1
アクセス 近鉄奈良駅より徒歩約20分
WEBサイト http://www.todaiji.or.jp/
文化財など 国宝:銅造盧遮那仏坐像(大仏様)、金堂(大仏殿)など多数。
重要文化財:中門、念仏堂など多数

参考文献
小泉淳作(2012)『我の名はシイラカンス 三億年を生きるものなり- 私の履歴書』日本経済新聞出版社
小泉淳作(2002)『小泉淳作作品集』株式会社講談社

鎌倉と小泉淳作画伯

小泉淳作『我の名はシイラカンス…』

  • 『我の名はシイラカンス 三億年を生きるものなり』表紙
  • 『我の名はシイラカンス 三億年を生きるものなり』建長寺雲龍図のページ

2011年に日経新聞「私の履歴書」で語った内容が単行本として発行されたもの。小泉氏の半生が自身の言葉によって出生から語られた(書かれた)本。

小泉淳作画伯が何を思い建長寺雲龍図を描いたのか、当時の苦労や制作過程がどんなであったかを垣間見ることができる貴重な資料です。鎌倉で生まれ、鎌倉を離れ、鎌倉に戻ってきた経緯や、鎌倉で売れない時期を過ごし、陶芸家として生活の糧を得ながら晩年の建長寺の大作へと繋がる過程も詳しく知ることができます。こちらを読んでから建長寺法堂(はっとう)の雲龍図を見れば、より深く理解できることでしょう。

和菓子屋「美鈴」の包装紙をデザイン。

  • 美鈴さん3月のお菓子、わらび餅
  • 小泉淳作画伯デザインの美鈴さん包装紙

鎌倉・宝戒寺のすぐ近くにある鎌倉一の和菓子屋『美鈴』
小泉淳作画伯が美鈴さんの包装紙をデザインされています。

小泉淳作画伯は懇意にされていた作家、大佛次郎先生とよくよく美鈴さん界隈を散歩されていたそうなんですね。きっといろいろなご縁があったのでしょうし、「一流は一流を知る」ということなんですね。漫画「美味しんぼ」にも登場するほどの名店、美鈴さんと、建長寺・雲龍図や京都建仁寺・双龍図が代表作の小泉淳作画伯。鎌倉最高のコンビではありませんか!

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