鶴岡八幡宮の東側、お宮通りと呼ばれる通りは「鎌倉宮」の参道。この神社は明治天皇が設立した格式高い神社なのです。桜や藤、紫陽花といった季節の花が楽しめ、紅葉の時季も色付く木々が訪れる人を魅了します。「大塔宮(おおとうのみや)」とも呼ばれ、地域で親しまれています。
ご祭神の護良親王(もりながしんのう)は、後醍醐天皇の皇子でした。鎌倉幕府倒幕運動のときに活躍し、一時は征夷大将軍となりました。しかし、すぐに足利尊氏にその座を追われ、東光寺に幽閉されたのち28歳の若さで暗殺されてしまいました。「武士」VS「皇族」の構図が、江戸時代から明治時代への移り変わりに似ている…ということから、明治天皇が遥かに想いを馳せられ、護良親王が亡くなった東光寺の跡地である場所に鎌倉宮を創建しました。護良親王が幽閉されていたのが、現在も境内の奥にある「土牢(つちろう)」といわれています。
鎌倉宮をお参りすると、真っ赤な迫力のある獅子頭守(ししがしらまもり)がお出迎え。これもまた、護良親王を守ったとされる由縁から創建当初から祀られているもので、悪いものを食べて幸せを招く護守として授与されています。
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鎌倉宮 |
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〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂154 |
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徒歩:JR横須賀線鎌倉駅徒歩25分 バス:JR鎌倉駅東口より京急バス「大塔宮」行「大塔宮」下車すぐ |
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2月〜11月 9:30〜16:30(入場は16:00まで) 12月、1月 9:30〜16:00(入場は15:30まで) |
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無休 |
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中・高・大人300円 小学生 150円 (団体割引あり) |
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0467-22-0318 |
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http://www.kamakuraguu.jp |
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あり。有料(1時間¥430。以降30分毎¥210)。 |
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あり。無料。 |
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境内撮影自由(立ち入り禁止区域を除く)。 |
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境内はOK。有料の場所も抱っこできれば可。 |
◼︎名称:鎌倉宮(かまくらぐう)
◼︎主祭神:大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)
◼︎創建:明治2年(1869)
◼︎創建者:明治天皇
明治天皇が南北朝時代に想いを馳せられて創建された鎌倉宮です。明治2年(1869)のことなので、鎌倉時代から歴史を持つ寺社の多い鎌倉では最も新しいといえます。鎌倉宮の主祭神である護良親王は南北朝時代の後醍醐天皇の皇子でした。後醍醐天皇と護良親王は鎌倉幕府の政治腐敗に対し、倒幕の挙兵を企てますが幕府の知るところとなり後醍醐天皇は捕らえられ、護良親王は隠岐に配流となりました。この倒幕の動きの中、足利尊氏ら多くの武士が次々に挙兵し、最終的に鎌倉幕府は新田義貞らによって攻め込まれ滅びました。これにより、後醍醐天皇は京都に戻り、護良親王は征夷大将軍となりました。しかし、これに納得しなかったのがのちに室町幕府初代将軍となった足利尊氏です。建武元年(1334)、護良親王は捕らえられ土牢に幽閉されてしまいました。9ヶ月もの間幽閉されたのち、護良親王は淵辺義博によって暗殺されました。若干28歳でした。
鎌倉宮の入り口である白い鳥居。ここから先は神聖な境内であることを示す入り口です。心を清めてくぐりましょう。
拝観口で拝観料300円を支払うと本殿より奥の部分を拝観できます。本宮の隣にある建物は宝物殿で、明治天皇がご行幸されたときに休まれた行在所だったものです。境内での撮影は長い間禁止でしたが、現在は立ち入り禁止区域以外は撮影も可能になっています。
本殿や宝物殿の横に広がる樹齢100年以上の楠の木々が植えられた神苑。ベンチも置いてあり、高い木々を見上げながらゆったりと時間を過ごせます。紅葉の時期は一段と綺麗です。
護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢です。ここで悲しい最期を遂げられました。本殿のちょうど真裏にひっそりと佇んでいます。
足利尊氏の弟である直義の命令により、護良親王は殺されました。実際に手を下したのは家来の淵辺義博で、親王の首をここに置いて逃げたと伝わっています。
厄除けとして境内でも人気のあるスポットです。百円を収め、盃を手に取り息を吹きかけます。息を吹きかけることで盃に厄が乗ります。そしてそれを石に向かって投げつけて厄を割ります。
梅雨時期に鎌倉のあちらこちらで見られる美しい紫陽花。ここ鎌倉宮でもみることができます。
神苑の再奥には藤棚があり、藤の花は4月ごろに満開になります。境内の片隅ですが、ぜひ訪れて見てほしい鎌倉宮のスポットです。