材木座の住宅街は昔ながらの海街の良い雰囲気が漂う地域。海から近いのでサーフボードを抱えた人とすれ違うことも珍しくありません。このあたりを通過する時いつも思うのは、海が生活の一部に溶け込んでいるということ。かつて鎌倉に攻め込んだ新田義貞もこの「海」によってその成果を挙げたのだと伝説が残ります。三方を山に囲まれた鎌倉に攻め入ることができなかった義貞は海からの侵入を試みます。海は義貞に味方したのかついに新田軍は鎌倉へ侵攻し、北条一族を東勝寺での自害に追い込むという事実上の鎌倉幕府の滅亡を迎えました。
九品寺はそんな激闘の鎌倉攻めにおける両軍の犠牲者を弔うために、1336年(建武3年)新田義貞が建てた浄土宗の寺院です。九品寺の建つ地は鎌倉攻めの際に、義貞が本陣を構えた地でもあります。開山は風航順西(ふうこうじゅんさい)を京都から招き、山号は内裏山(だいりさん)といいます。ちなみに現在の九品寺の山門に掲げられた「内裏山」の文字は義貞の直筆と伝わっているものです。山門をくぐって歩みを進めると、まっすぐ伸びる参道の先に立派な本堂があります。境内は狭いながらも本堂前には雰囲気のある緑が植えられ、よくお手入れされていてとても綺麗です。どこか海の雰囲気を感じるのは潮風のせいでしょうか。春には参道のナニワイバラの白い花がいっぱいになり、夏には本堂前のノウゼンカズラの朱色が青空のもとによく映えます。
本堂は1923年の関東大震災で全壊しているのでそれ以降に再建されたものとなっています。ご本尊は阿弥陀三尊で、阿弥陀如来の左脇侍である観音菩薩は鎌倉三十三観音の札所となっています。ちなみに寺名の「九品」とは、極楽往生するときの9つの階級(上品・中品・下品をさらにそれぞれ上生・中生・下生に分けた9段階の区分)を表しています。私たちが普段使う上品、下品という言葉は読み方は違いますが実はこの九品に由来しています。
※参考文献 山越実 「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」かまくら春秋社 平成26年10月18日 発行
![]() |
内裏山霊嶽院九品寺(だいりさんれいがくいんくほんじ) |
![]() |
浄土宗 |
![]() |
〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座5−13−14 |
![]() |
鎌倉駅東口のバスターミナル7番乗り場から鎌12または鎌40に乗車し、バス停「九品寺」で下車、徒歩2分。鎌倉駅から徒歩では約20分。 |
![]() |
9:00〜16:00 |
![]() |
ー |
![]() |
無料 |
![]() |
0467-22-3404 |
![]() |
ー |
![]() |
数台あり。無料。 |
![]() |
駐車場に停めることが出来ます。 |
![]() |
撮影可能。 |
![]() |
ー |
◼︎名称:九品寺(くほんじ)
◼︎正式名称:内裏山九品寺(だいりさんくほんじ)
◼︎宗派:浄土宗
◼︎御本尊:阿弥陀如来
◼︎創建:建武3年(1336)
◼︎開山:風航順西(ふうこうじゅんさい)
◼︎開基:新田義貞
◼︎文化財:神奈川県の指定文化財として石造薬師如来像、鎌倉市の指定文化財として御本尊の阿弥陀如来立像があります。
新田義貞らの鎌倉攻めにより、1333年に鎌倉幕府は北条一族とともに滅亡しました。建武3年(1336)、その戦禍における犠牲者を弔うために新田義貞によって建てられたのが、この九品寺です。新田義貞が鎌倉攻めの際、この九品寺の建つ地を本陣を構えた地だったといいます。
鎌倉三十三観音の十六番札所になる九品寺。ここでは聖観世音さまにお参りしましょう。
小さな境内ですが立派な門構えの九品寺。山門から歴史あるお寺であることが伝わって来ます。山門にある山号「内裏山」の文字は新田義貞が自ら書いたものであると伝わります。こちらは模写されたもので、直筆と伝わるものは本堂に保管されています。
御本尊の阿弥陀如来像が祀られた本堂。参道から見る均整のとれた佇まいは実に美しいです。本堂に掲げられた「九品寺」の文字も山門同様に新田義貞の書いたものの模写となっています。
本堂前にはいつも綺麗に整えられた立派な松の木があります。8月頃になるとオレンジの鮮やかな色をしたオニユリが眩しい日差しの中咲き誇ります。
オレンジ色の花といえばこちらも負けていません。夏にかけて咲くノウゼンカズラ。凌霄花と書き、「天を凌ぐ花」という意味のごとく空に向かって蔓を伸ばしています。鎌倉の寺院でよく見られる花のひとつです。オレンジ色とお寺はなんだかよく似合います。