静かな地域にありながら、ドラマや映画の舞台として撮影されたりしてとても人気のある極楽寺周辺。その歴史を振り返ってみましょう。
閑静な住宅街が広がる鎌倉・極楽寺地域。地名に「極楽寺」と付くのにはそれなりの理由があります。今は小さな境内が残るのみの極楽寺も最盛期には49もの子院を従えた大寺院でした。この地域一帯が極楽寺の境内であった証が地域のあちらこちらでみられます。
極楽寺の歴史を振り返る上で外せない存在なのが「忍性」という僧侶です。彼は地獄谷と呼ばれていたこの地域を見事に復活させたカリスマ的事業家だったのです。当時差別されていたハンセン病患者の救済、架橋や道路整備など土木事業の展開、さらには病気になった家畜の世話まで行なったと言われています。極楽寺切り通しも忍性によって開かれたと伝わります。極楽寺古絵図によると、当時の極楽寺境内には施薬院、療病棟、薬湯寮などの施設が示されていて、極楽寺という寺院が単なる寺ではなく福祉医療施設としての役割も担っていた事が伺えます。
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極楽寺(霊鷲山感応院極楽律寺) |
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真言律宗 |
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〒248-0023 鎌倉市極楽寺3-6-7 |
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徒歩:江ノ島電鉄極楽寺駅より徒歩2分 |
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9:00~16:30 |
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無料 |
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0467-22-3402 |
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なし |
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なし |
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境内撮影禁止 |
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◼︎名称:極楽寺(ごくらくじ)
◼︎正式名称:霊鷲山感応院極楽律寺(りょうじゅさんかんのういんごくらくりつじ)
◼︎宗派:真言律宗
◼︎御本尊:釈迦如来
◼︎創建:正元元年(1259)
◼︎開山:忍性
◼︎開基:北条重時
◼︎文化財:極楽寺忍性塔や本尊の木造釈迦如来像をはじめ、多数の国重要文化財を有しています。また、現在の寺の西方にある旧境内は「極楽寺境内・忍性墓」として国指定史跡となっています。
正元元年(1259)、開基とされる北条重時は鎌倉市西部にあった念仏系寺院を現在の極楽寺の場所に遷しました。これが極楽寺の始まりとされています。弘長元年(1261)に北条重時の嫡男である鎌倉幕府6代執権・北条長時と四男である北条業時は、父の遺志を継ぎ極楽寺の伽藍を整備しました。文永4年(1267)には実質的な開山とされる忍性が入寺し、極楽寺は最盛期を迎えます。しかし元弘3年(1333)に起きた鎌倉幕府の滅亡の戦火に巻き込まれ、寺は焼失。忍性自身により再建されましたが、その後も焼失と再建を繰り返しました。そんな中でも寺院は受け継がれていき現在に至ります。
鎌倉十三仏の12番札所となっているのが、極楽寺の大日如来さまです。大日如来とは宇宙を表す仏様といわれます。密教における最高仏でもあります。
UNIQUELY鎌倉「御朱印と巡る、鎌倉十三仏」
鎌倉二十四地蔵の第20番札所となっているのが、極楽寺山門の右手にある極楽寺山門の右手にある赤い屋根が目印のお堂の中に祀られた導地蔵さまです。以前は極楽寺のものでしたが今は地域で大切に管理されています。御朱印は極楽寺でいただけます。
UNIQUELY鎌倉「御朱印と巡る、鎌倉二十四地蔵」
鎌倉二十四地蔵の第20番札所となっているのが、極楽寺から少し離れた住宅街の中に建つ地蔵堂に祀られた月影地蔵さまです。最盛期にはここも境内であったと考えられます。御朱印は極楽寺でいただけます。
UNIQUELY鎌倉「御朱印と巡る、鎌倉二十四地蔵」
極楽寺の山門は茅葺きでできています。参拝者は山門の横に開けられた小さな出入り口をかがんでくぐって境内に入ります。極楽寺で唯一撮影が可能な建造物です。
極楽寺の境内は撮影が禁止となっています。山門のあとにつづく美しい桜並木をはじめ、境内にはいつでも綺麗に管理されています。ぜひ実際に訪れてその良さを体感してみてください。
「鎌倉古寺歴訪 地蔵菩薩を巡る」山越実 著(平成26年10月18日 発行)