博古堂のルーツは、鎌倉幕府の頃に遡ります。
当時、鎌倉では禅宗文化が花開き(建長寺建立1253年、円覚寺建立1282年)、運慶に代表される慶派の仏師が奈良から呼び寄せられました。その仏師の末裔が博古堂当主の後藤家で、第29代の現当主後藤圭子さんは初の女性当主でもあります。
日本の歴史の中で隆盛を極め、文化の中心にも位置していた仏教ですが、江戸時代の末になり財政に苦しむ江戸幕府によるお寺への重税で青息吐息となります。そこへ明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が追い討ちをかけます。この一連の時代の流れによって鎌倉の仏師達は大打撃を受け、その多くが廃業したのです。のちの博古堂となる後藤家も例外ではなく、代々続く仏師という家業を続けるか否かの岐路に立たされたました。当時の第26代当主後藤齋宮(ごとういつき)とその子であり第27代当主となる後藤運久(ごとううんきゅう)は仏像彫刻の技術を生かして「鎌倉彫」へと移行していったのです。
鶴岡八幡宮三の鳥居横にある博古堂
その後、齋宮、運久の両氏は独自の彫りや塗りの技術を確立し、生活に溶け込んだ彫刻作品としての「鎌倉彫」の立ち位置を明確にしていきます。仏教の心を宿した鎌倉彫は海外の人々の心も掴みます。1889年のパリ万国博覧会をはじめとした海外各国の博覧会で栄えある受賞を重ね、出品した数々の品は飛ぶように売れていったといいます。当時の両氏の誇りと自負は、発行された「一百年間保証券」にもよく現れています。
博古堂発行「一百年間保証券」
それから100有余年、現当主が手がける鎌倉彫は伝統を守るだけではない新しい気風に満ちています。手にすっぽりと収まるサイズの背面に鎌倉彫が施された手鏡や、見た目はまるで錫(スズ)のようなお皿、鎌倉市長のために作られた源頼朝公が彫り込まれた名刺入れなどなど。凝り固まった、伝統のみに固執する精神性をあざ笑うかのように自由で大胆で闊達です。
博古堂店内
「諸行無常」の世の中で、仏師の彫刻の技術を800年に渡り守り続け、発展させてきた博古堂当主後藤家。「一切衆生悉有仏性」の言葉のように、博古堂の鎌倉彫には仏様の心が宿っているのかもしれません。
大事な方への贈り物にも最適ですが、ご自身の日常使いの身の回り品にこそ、漆塗りの鎌倉彫の良さが発揮されます。鎌倉にいらした際は是非一度「博古堂」にもお立ち寄りくださいませ。
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博古堂(はっこどう) |
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〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-28 |
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鎌倉駅東口から徒歩10分。若宮大路の段葛を抜けた先、鶴岡八幡宮の三の鳥居脇です。 |
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3月 - 9月 9:30 - 18:00 11月 - 2月 9:30 - 17:30 |
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なし(年末年始を除く) |
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0467-22-2429 |
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www.kamakurabori.org |
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1台(レストラン静久さま横) |
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