春と秋の季節限定で公開される北鎌倉の長寿寺。扇ガ谷と北鎌倉を結ぶ切通し・亀ケ谷坂の登り口に静かに佇むお寺です。
限定で境内が公開されるのは4〜6月と10〜11月の金土日のみとなっています。貴重な長寿寺の境内拝観をお見逃しなく。
![]() |
宝亀山長寿禅寺 |
![]() |
臨済宗建長寺派 |
![]() |
〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内1503 |
![]() |
JR横須賀線北鎌倉駅から徒歩14分。建長寺手前右側の鎌倉街道沿い、亀ケ谷坂の入り口横にあります。 |
![]() |
季節・曜日限定公開。 春季(4,5,6月)、秋季(10,11月)の金土日と祝日のみ。 10:00 〜 15:00(雨天中止) |
![]() |
祝日でない平日と、夏季(7,8,9月)、冬季(12,1,2,3月) |
![]() |
300円 |
![]() |
0467-22-2147 |
![]() |
ー |
![]() |
ー |
![]() |
ー |
![]() |
ー |
![]() |
ー |
◼︎名称:長寿寺(ちょうじゅじ)
◼︎正式名称:宝亀山長寿禅寺(ほうきさんちょうじゅぜんじ)
◼︎宗派:臨済宗建長寺派
◼︎御本尊:釈迦如来
◼︎創建:建武3年(1336)、または延文3年(1358)
◼︎開山:古先印元(こせんいんげん)
◼︎開基:足利尊氏(あしかがたかうじ)
長寿寺は建長寺の塔頭寺院の一つです。建長寺が保有する足利尊氏が長寿寺長老に宛てた古文書によれば、長寿寺は建武3年(1336)に創建されたとされています。しかし、長寿寺が保有する古文書では延文3年(1358)と残されています。矛盾しているため、正式な創建年はふめいとなっています。経緯としては、鎌倉公方の足利基氏が父である足利尊氏の菩提を弔うために創建したと考えられています。当時は七堂伽藍の立派な佇まいだったと考えられていますが、現在残るのは本堂と観音堂などごく一部が再建されて境内に残ります。
鎌倉街道から見える茅葺き屋根の素朴な佇まい。長寿寺の境内は、1年のうちのほとんどが公開されていないので、1年中眺められるのはこちらの山門のみとなります。季節ごとに花々に彩られて雰囲気が変わります。
本堂は平成18年(2006)に新設されました。かなり新しい感じは受けますが、質素ながら神聖な雰囲気を感じ取れます。室町時代の建築技法で建てられています。拝観順路に従っていくと、玄関を入って左手が本堂、右手が書院・小方丈となっています。御本尊には釈迦如来像が祀られ、その右手に開山の古先印元像、左手には足利尊氏像が祀られます。
本堂から繋がっている小方丈と書院。小方丈には鮮やかな緋毛氈(ひもうせん)が敷かれ、そこからゆっくりと庭園を望むことができます。時間を忘れて非現実を味わえる鎌倉屈指の場所ではないでしょうか。ちなみに写真撮影のための拝観は禁止されていますので、心を穏やかに景色を楽しみつつ写真も撮りましょう。
本堂と小方丈の間に位置するのが書院です。日当たりの良い小方丈側に対して書院は日陰側になります。窓からは味のある姿をしている観音堂を望みます。苔庭との調和が実に美しいです。
観音堂は長寿寺で一番古い建築物になります。綺麗に手入れされた庭園と見事に調和して美しい姿。素朴ながら堂々としていて鎌倉らしい外観です。大正時代に奈良の忍辱園成寺(にんにくせんえんじょうじ)から移築されたものです。
境内の観音堂側の庭園は、ほとんどがウグイス色のスギゴケで埋め尽くされています。苔とお寺の組み合わせは本当に心を洗われます。至近距離で見てみると、小さいながらも力強い苔の生命力を感じられます。
観音堂の裏手から伸びる階段は、本堂や小方丈の向こう側にある庭園へぐるりと続いており、境内を一周することができます。途中に尊氏の墓所や竹林を通り、先ほどみた建築物を違う角度から見ることができます。特に庭園から見る小方丈と書院は本当に美しいです。
ひっそりと境内の奥地に建てられている足利尊氏の墓所と伝わる五輪塔です。尊氏の遺髪が埋葬されていると伝わります。
写真は書院から見た庭園の姿です。紅葉の時期は特に趣のある景観になります。手入れの行き届いた庭園は、眺めているだけで心が正されるような気がしてきます。
実は長寿寺は隠れた紫陽花の名所です。鎌倉街道沿いから見える長寿寺の敷地には、たくさんの紫陽花が植えられており、とても華やかな姿になります。また、UNIQUELY鎌倉的に「紫陽花坂」と名付けている亀ガ谷坂切通しに面しています。境内にも所々に紫陽花の株が植えられています。
「UNIQUELY鎌倉」鎌倉・紫陽花の名所特集
「UNIQUELY鎌倉」亀ガ谷坂切通し